パパ45歳、強制的ライフシフトしました。その3

パパがウツになりました。ワーカホーリック、ストレスマネジメント下手、不健康極まりない生活から強制的にライフシフトに取り組んでいくお話です。

お互いに「弱っていること」を認める

お酒が弱くなった?

お酒大好きのパパ。
仕事が忙しくなるにつれ、年々お酒の量は増えてきていた。

2月の土曜日に、実家へ自転車でいったはずのパパが、お義父さんと一緒にタクシーで帰ってきた。
へべれけに酔っ払って、のたうち回っていたし、タクシーに乗った後のことは覚えてなかった。
帰ってきたときはご機嫌に笑ってたんですけどね。

さえたん
どれほど飲ませてくれとんねん
と思ったけど、聞いてみるとそれほどでもなかった。

それほどでもなかったのにベロベロに酔っぱらったことが本人的にもショックだったようで、
それからしばらくお酒を控えるようになった。

これはかなり大きな変化だった。
ここから本当の意味で生活習慣を意識したように思う。

とりあえず「笑え!」

私の2月の手帳を見返していると、
とりあえず「笑え!」
と書いてある。

多分星占いか何かのフレーズを移したのだと思う。
パパを追い込まないように、自分のコントロールを意識的に取り組んでいた頃。

さえたん
もっと健康的な生活をすればいいのに!
そんなんせーへんほうがいいのに!
この本読んだら??

血気盛んにパパを健康にしよう、と効果的なあれこれを与えようとしそうになったけど、
マイナスの状態にいる人をいきなりプラスにはできないこと、
本人が変わりたい、と思わなければ変わらないこと、

を意識して「課題の分離」をした。

自分のメンタルヘルスについては、不安を感じながらも、忙しくあることで自分を保っていた。
その2でも書いたけれど、仕事があることが私の日常を保ってくれたし、
仕事で関わる人たちがみんな私の支えだったことは間違いない。

そして私が忙しかったことで、パパがいつも以上に家事を担ってくれるようになった。
2月の手帳には、不安やイライラも書いてあるし、それと同じくらいパパへの感謝が書いてある。

「できていないこと」に行きがちな視点が変わり、私自身も楽になっていった。

最後の砦の扉を開けるべきか否か

有給休暇が終わる = 傷病手当金支給 → 収入が減る という不安材料と、
目の前に迫ったお嬢の学費の納入、春休み中にスタートさせてやりたかった教習所の費用。

我が家のお金事情の不安が拭えなかったのが1番のもやもや。
なんとかなるとは思っているけれど、話し合いができていないのがもやもやだった。
山あり谷ありのうちの夫婦、あえてお互い話さずにきた部分でもあるのだ。

さえたん
しんどいときに、今までもなんとなく避けてきたことを話そう、と言っていいのか?

いや、今こそ全部出して話すチャンスやん

そう、なんてったって話したい相手は弱ってるのだ。
「意を決して話したいことをリクエストした」日には、帰ってくるのが遅かったと手帳には書いてある。
「そして何も進まなかった」と。

解決したいけれど話し合えるのかどうかわからない状態は、まあまあストレスだった。

最終は私が何とかするしかない、と腹を括ったが、いろんなことがギリギリのタイミングでパンドラの箱は開き、なんとか希望も残った。

知らん方が良かったんちゃうか?とも思うこともあるけど、今は共有できたことでお互いほっとしている気がする。
これはひとつ、良かったことだ。

パパの体調が回復

パパも少しずつ元気になってきて、診察でも回復傾向にあると記録している。
この後から少しずついろんな話ができるようになった。

それまでは私のイライラや焦りも見えていたのかもしれない。
身体もギリギリの状態だったパパには、きっとしんどかったかなと反省している。

散歩がてら一緒に買い物に出たりするときに少しずつ話をしてくれるのがとても嬉しかった。

いつも通る近所の公園で、

パパ
ここのベンチに座って、病院に行こうかと悩んでてん
と聞いたとき、それを打ち明けてくれたことがなんだかすごく嬉しかった。

毎日歩き、お酒を控える様になって、スナック菓子の量も減り、身体の調子も良くなってきたことでこの頃スッと痩せた。
見た目ほど体重の変化はなかったそうなので、全身の浮腫が取れた様な感じだった。

シフトチェンジスタート!?

1月の末にお嬢が高校を卒業。
我が子が高校を卒業する歳になったのか、と思うと感慨深かった。

何度も言うようだが子ども隊がいてくれたことでパパも私もいつも通りでいられた。

日常にルーティンが増えた

毎日歩くことを口実に出かけていたように見えたが、家にいる時間も長くなって来た頃。
ひとりで過ごすことを好んでいたように見えたが、また一緒に散歩に行ったりすることも増えた。

そのおかげで考えていることやしんどかったときのことを聞くこともできるようになった。

家庭では私が嫌いだと公言している洗濯を率先して担ってくれるようになった。
今までも手伝ってはくれたけど、洗濯機を回すのは私で、干す・畳むを手伝ってくれるといった感じだったが、洗濯機を回すところからパパのペースで分担してくれるようになった。

それは今も続いていて、我が家の洗濯大臣はパパである。

朝にお風呂に入ることが多いので、お風呂掃除も言わなくても毎日してくれるようになった。

結婚20年目にして、家事分担が本当に進んだ。
今までは忙しすぎて私も望んでいなかったからね。

会社からのオファー

「休んでください」と言われていた会社から、今後のことについて提案があった。

会社にうつの診断の連絡したときに、とりあえず責任者のポジションは外して欲しいと伝えていた。
でも、元の担当に戻ったら、たとえ責任者を外れてもパパに仕事がまた集中するのは目に見えている。
何ならその分給料が下がるのにしんどいだけやん。

会社からの提案は、店舗運営部から人事部への移動。

日本の会社なら衛生管理課?的な部署へのオファーがあった。

誰もがタフだと思っていた田中さんが休暇を取ることになったのは会社的にもかなりショックだったと思う。
「あえての」衛生管理、社員の健康に関する仕事のオファーだった。

私はできることなら全く違う部署に行くほうがいいと思っていた。
ずっと店舗のマネージャー、運営の現場にいたからこそ現場と人事の橋渡しもできるだろうとも思う。

パパ的にもありがたい提案だったと思ったらしい。
ありがたいことに給与面でも好待遇。
パパが会社に貢献して来たことはやっぱり評価されていて、報われたと思った。


毎年お花見に行く、結婚式をした神社。今年は静かに桜を楽しむことができた。
二人で桜を見ながら、これからの働き方について話した。

産業医の面接でOKが出れば、復帰することになった。

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ライフオーガナイズを基本に、お母さんがかわいく・賢く・楽しく・朗らかに生きるためのヒントときっかけをお伝えしています。 お母さんが楽になって家族も自立する仕組み作りが得意です。