パパ45歳、強制的ライフシフトしました。その2

パパがウツになりました。ワーカホーリック、ストレスマネジメント下手、不健康極まりない生活から強制的にライフシフトに取り組んでいくお話です。

パパの様子

それまでのパパの毎日

パパは外資系のアパレルに勤めている。
30歳で転職したので、勤続15年ほど、ずっと現場で働いてきた。

店舗のマネージャーから地域統括になり、ここ数年は店舗運営の裏方を主に担当していた。
店舗運営部の何でも屋さんである。

店舗に関すること全ての情報が集まる部署で、現場担当としては一番上の責任者の立場だったので、常に電話がなり、メールが一日に3桁を超えていた。

コロナの流行前は、月の半分は出張。
朝は6時半には出勤し、帰宅は22時以降。

明らかに労働基準法違反ですねんけど、本社がヨーロッパなもんで時差もあり、長時間労働は当たり前になっていた。
何度か苦言を呈したこともあったけど、仕事が溜まり続けるので休んだ方がしんどいという。

パパのストレングスファインダートップは「責任感」
しんどいから休んだり出来ない性分。
(ちなみにストレングスは私とは見事に正反対!)

コロナ渦で出張は無くなったものの、その分大阪にいるパパには情報が遅れたりすることもあり、余計にストレスフルだったそう。

常に電話がかかってくるので、昼食を取れないことも多かったらしい。

早朝に出勤して、夜遅く帰ってくるときにはロング缶2本くらいとスナック菓子を買ってくる。
晩ご飯の後、お酒飲んでお菓子食べてお腹いっぱいでそのままヨギボーで寝る。(気絶だよね)
明け方起きて風呂に入り、出勤。

どうにかならんもんかと色々言ったこともあるけど、タフなのか鈍感なのかあまり変わらず。
体重は過去最高を更新。

それでも変えようと努力していたこと

日々の生活は不健康そのものだったけど、忙しすぎて仕方がない、ともとれる。

それでもパパなりに努力していたことがいくつかあった。

息子と一緒にジョギングしていたこともあった。
3年前くらいに元々好きだった自転車を買って、休みの日には自転車に乗り、休暇の時には一人でビワイチ(琵琶湖一周)とかも楽しんだ。

どうせなら一緒に楽しめたら、と私にもロードバイクを勧めてくれて、一緒に走った。

夫婦のクオリティタイム、自転車始めました。

私の楽しみに乗ってくれて、遠足や旅行も結構な頻度で行ってた。

パパ
仕事のことを気にしない時間があったら、ストレス解消になるかと
思って取り組んでいた。

病院に行こう、と思ったのは、私と一緒に旅行に行ってたときにも不安で動悸がしたのが一つのきっかけだったらしい。

パパ
病院に行って、「鬱です」って言ってもらわな、休んだりでけへんと思ったから、診断してもらおうと思った
のが自ら病院に行った理由だそう。

そうでなかったら、身体がもたなかったと思う。

最初の1ヶ月ほど

年末年始の休みは子ども隊がいたので、純粋に休暇の様に過ごした。
寝ていることが多かったけど、パパが寝てるのはいつものことやし、あまり気にしてなかった様子だった。

家でじっとしていることが苦手なタイプなので、寝てない日は午前中からお散歩に出て、夕方帰ってきた。
最初はお散歩に出ていくパパが心配で仕方なかったのだけど、帰ってくるのを毎回信じて待つことにした。

元旦の朝、初日の出を見に行こうとするパパと一緒に初日の出を見に行った。
この頃は一人で過ごしたい様に感じていたのだけど、時々は以前の様に一緒に過ごすこともリクエストした。

一見症状が出ている様には見えない。(だって今まで気がつかなかったんやもん)
1回だけ夕方に帰ってきてずっとため息をついてる日があって、調子が悪そうだったことがあった。
お薬飲んでなかったらしく、効き目はあるんだなと思った。

パパ
じっとしてると不安になるから、ひたすら歩いてる。
歩いて疲れたら座って、また歩いて、ほんで日が暮れる頃帰るねん。

何もしないよりはずっといいし、私があれこれ言うのもまだ早いなと思ったので、パパのお散歩は少しの間続いた。

年始の始業日、行ってくるわ、と仕事に向かった。
私は「え?休まなあかんのちゃうの?」と思っていたけど、「話し合ってくる」と言ったのでそれも必要かと送り出した。

当の本人は、メールのチェックとかして仕事するつもりだったらしい。
オフィスで上司に「帰りなさい、休んでください」と言われて、まだ休むの?って言うくらいの認識だった様子。

自分がうつ状態にあることは認識しているものの、それがどういう状態なのかはまだわかっていなかった。

まだ休むことになり、数日後にスウィッチが届いた!笑
私も遊べる様に、とリングフィットアドベンチャー付きで。

さえたん
これから収入無くなるのに何を買っているんだこの人は・・・
と思いましたが、そこはグッと黙っておきました。

そしてそれからかなりの時間をバイオハザードと共に過ごしています。(現在進行中)

さえたん
バイオハザードとか、アドレナリンがいっぱい出そうなゲームしてていいんやろか?
ゲーム廃人みたいにならんやろか・・・
と私の不安を増大させてくれましたが、息子ともコミュニケーションツールが増えたし、廃人にはなってないし、隅から隅まで楽しんでいる様なのでいいんでしょう。
(私はゲームをしないので、そこは昔から口は出さないのです)

2月に入ると「休んでいる」ことにも少し慣れてきた様子で、家族のために昼食にお弁当を買ってきてくれたり、ちょっとお料理をしてみたり、洗濯も進んでやってくれる様になってきた。

これからのこと、差し迫っている学費のこと、生活のことなど、「話し合わないといけないことがある」と私はずっとモヤモヤしていたのだけど、なかなか言い出せずにいた。

思えばこの頃が私は一番ヤキモキしてたと思う。

ただ、パパの様子はひどくはならなかったので、少しずつ、何気ない会話から話ができる様になってきた。

私が落ち込まずに済んだ4つの理由

1、ライフライン・信頼できる人とのつながりがあったこと

パパから話を聞いた翌日、家では普通に過ごしていたけど、私も急に不安になることがあった。
考え出すと涙が出そうになったので、信頼している、そして確実な知恵を持っている友達にメッセージした。

実に淡々と、パパの状態と、気をつけることと、私がいつも通りに自分のすることに注力することを教えてくれた。

私が話を聞いた時に「大丈夫」と言えたのは、私には複数の頼れる人のつながりがあることと、多少の学びがあったこと。

彼を直接救うことは出来なくても(人はコントロール出来ないしね)、私が共倒れしない方法はある、と思える自信があった。

メンタル的なこと、栄養のこと、ただ話を聞いてくれるだろう人、仕事が必要ならお願い出来る人、何人も顔が浮かんだ。
きっとアドバイスしてくれたり手を貸してくれると思えた。
実際にはありがたいことに回復が早くていろいろお願いすることはなかったのだけど、ライフラインがある、と思えるのは本当に心強かった。
(ありがとう脳内の協力者の皆さん!)

実際、しんどかった時はzoomで話を聞いてもらって、吐き出して、自分にできることにシフトすることができた。
あの時話を聞いてくれたことが、私にとって本当にありがたかった。
(お休みの日だったのに、私のために本当にありがとう!)

2、忙しくいられたこと

もう一つは、仕事があったこと。
一昨年の夏から、週の前半は在宅でパソコンで出来る仕事をしている。
コロナ禍の前から在宅で仕事が出来ていたことは本当にありがたいこと!
年末年始もパソコンに向かう時間があったから、その時は仕事のことを考えることができた。

オーガナイザーとしても片づけ作業のご依頼が増え、オンラインのセミナーも増えていた。
なんなら例年以上に忙しかった。

家にいても家事よりも仕事の方が忙しかったし、外出する仕事も結構あった。

やるべきことが目の前にあったから、不安に呑み込まれるヒマがなかった。
そして収入を得られることがまた私を不安から遠ざけてくれた。

生活の全てが賄えなくても、なんとかなると思えたし、頑張ろう!と思えた。
(おかげでお嬢ももうすぐ免許取れそうです❤️)

パパも私が家にいて、思ったより働いているって思ったらしい。
家事を分担してくれることが多くなり、パパも家の中でやることが増えたのはよかったと思う。

3、自分の楽しみがあったこと

元々お一人様は苦手だったのに、一人で出かける楽しみを見つけていた昨年。
関西ミュージアムパスと、植物園の年間パスを買っていたので、気分転換に出かける先があった。

やりたいなー、を実行する。

3月でミュージアムパスの期限が切れるから、せっせと近所の博物館や美術館に足を運んだ。
知的好奇心が満たされることで、心の安定になったし、見てきたことを家族と話すことで、会話の弾む。

季節ごとに違う花が見られる植物園に自転車で行くことも、運動にもなり気分転換にもなった。

4、子ども隊が自立していること

そして一番の救いは子ども隊。
夫婦とも、子どもに一番救われた。

なんとなく(後から説明しましたが)ずっとお休みしているパパにいつも通りに接してくれたこと。
腫れ物に触る様なわけでもなく、本当にいつも通りだった。

我が家はみんなおしゃべりなので、1日のどこかで笑い声が起きる。
笑わずにはいられない様な会話が始まるので、気がつけば笑っている。
落ち込んでいられない。

反面、中高生は忙しく、生活のリズムが崩れなかった。
私もお弁当のために必ず6時には起きるし、そのまま8:30にはパソコンに向かう。

それぞれがそれぞれのスケジュールをこなしているので、「日常」が途切れなかった。

「日常」が途切れない、というのは私にとっては本当にありがたいことで、時折感じる不安も少なくなっていった。

パパも子ども隊の日常を目の当たりにして、忙しくがんばっているのを感じていた。
末っ子のお迎えに行ってくれる様になり、在宅チームのお昼ご飯を気にしてくれる様になった。

***

その1を書いた時、この期間に関わっていた仕事仲間や友達から「気づかなかった」と言っていただけたのだけど、実際に私はあまりダメージを受けていなかったのだ。

10年前、人生に悩んで学びを始めてから、暮らしを整えたこと、子育てを変えたこと、夫婦の在り方を考えたこと、それぞれの体験や学びが私をたくましくしてくれたんだな、と思う。

 

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ライフオーガナイズを基本に、お母さんがかわいく・賢く・楽しく・朗らかに生きるためのヒントときっかけをお伝えしています。 お母さんが楽になって家族も自立する仕組み作りが得意です。