初めて人生と向き合った時間【チーム田中へ:3】

生活に必要な家事は全員でやりますよ、というスタンスの田中家。
では、いつからどうやってこうなったのか。
田中家の現在の暮らしに至るまでのことを書いていこうと思います。

今までのお話は、タグ:チーム田中へ
家族へのインタビューは、タグ:チーム家族構成員インタビューをどうぞ〜。
(記事の最後にタグが出ています)

初めて人生と向き合った時間

私の実家にサザエさん状態で暮らしていた5年。
何も考えずにその日暮らしをしていた私。

夫婦として「暮らす」とは

その頃の私は、ほとんどの時間を母と一緒に過ごしていました。
幼い子ども隊と、母との時間がほとんど。
食事も、家事も、時間の使い方も、考え方も、母に頼っていました。

こうなると、暮らしの「軸」というか、「価値観」が私の実家に寄って行くことになります。
つまり、私は育った自分の家のやり方を重視したのです。

田中家として、私たち夫婦としてどんな暮らしがしたいか、そんなことは何も考えずにいました。

夫婦の亀裂

その頃旦那さんは今の会社に転職した後で、とても忙しい毎日を過ごしていました。
30代半ば、勤務時間も長く、持ち帰り仕事も多い。

でも嫁はすっかり実家の一員で、きっと心地よくはなかったでしょう。
あまり文句を言わない人なので、図に乗った私は何も気づかずにいました。

少しずついろんなことがうまくいかなくなり、旦那さんと喧嘩することが増えました。
そしてついに、別居することになりました。

別居というか、私が追い出したのです。

自分の気持ちと向き合った3ヶ月

旦那さんの実家に帰ってもらい、別居していたのは3ヶ月。
今思い出したら本当に胸が痛い。ひどい嫁だなーと思います。

でもその時は、「なんで?私を幸せにしてくれるって言ったのに」という気持ちでいっぱいでした。
自分の幸せは自分で見つける、感じるものだということなんて全く気づいていませんでした。

入ってしまった亀裂をどうしたらいいのか、
どうすればまた一緒に過ごせるのか。
解決の糸口もないまま、悶々とした毎日でした。

そこで私は初めて自分の人生について考えます。

私、このままでいいの?

仕事も辞めたし、キャリアもないし、どっぷり3人の子育てだけしている私に、この先どんな人生が待っているのか。
幸せにしてくれるって思ってたパパとはうまくいかなくなった。

私はこのままでいいんだろうか・・・と思い、夫婦のことも含めカウンセリングに行ってみたり、占いに行ってみたり(笑)

初めて「自分」について向き合いました。
その時、「働く」ということについても考え始めます。

そしてたまたま実家の部屋の片付けをあれこれしていた私をみて、「片付け好きなんやったら資格あるで」と教えてくれた知人がいました。

そこで初めて整理収納アドバイザーという資格を知ります。

もう一回、田中家の形を探そう

実家を出て、家族5人の生活へ

別居していた夫婦関係は、お互い元に戻りたい、という気持ちがあったので何度も話し合いをし、実家を出て引っ越すことになりました。

その時、お嬢は2年生。ボンは年長さん。末っ子は3歳。

小学校に入学していたので、学区内で探し、55㎥のハイツに引っ越しました。
12月の末に引っ越し、5人での新しい暮らしを始めた新年の気持ちを今でも覚えています。

引っ越した夜に撮った、新居での写真。ずっと飾っています。

親子関係も危うい?

引っ越すときに私が気にしたのが、「おばあちゃんがいなくなって大丈夫?」でした。
でも子ども隊は全然大丈夫で、大丈夫じゃなかったのは私。

すっかりしっかり者で大人の顔色を伺えるようになっていたお嬢でしたが、「家族5人の方がいい」と言い切りました。
その言葉で勇気を出しました。

厳しく育てることがいい、とあれもこれも私が決めていた子育てをしていた私は、長女のお嬢との関係にも危うさを感じていました。

実は私がいないと思って、

お嬢
あー、お母さんほんまうるさい
とつぶやいたことがあったんです。苦笑

その後、

さえたん
今なんて言うた??
と出て行った時の顔、今でも焼き付いてます。

ああ、このままじゃ、親が怖かった私と一緒になってまう・・・

夫婦の関係、親子の関係、私の人生。

これを機に、見直さなければいけないことがたくさんありました。

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ライフオーガナイズを基本に、お母さんがかわいく・賢く・楽しく・朗らかに生きるためのヒントときっかけをお伝えしています。 お母さんが楽になって家族も自立する仕組み作りが得意です。