生活に必要な家事は全員でやりますよ、というスタンスの田中家。
では、いつからどうやってこうなったのか。
田中家の現在の暮らしに至るまでのことを書いていこうと思います。
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(記事の最後にタグが出ています)
私の両親と同居していた5年間
結婚してから我が家は転居が多く、引越し貧乏だったなーと反省してます。
3回の引越し
結婚してすぐは天王寺区上本町の新築マンションに住んでいました。
天王寺区で育ったので子育てをするならこのあたりがいい、と思っていました。
ただ、私が退職すると家賃が負担に。
次に見つけた家は欠陥がありすぐに転居を余儀なくされました。そして四天王寺のお寺のすぐ近くのマンションで二人目を授かり、ボンが1歳過ぎまで住んでいました。
5年が過ぎ、大阪市の住宅の新婚補助がそろそろ打ち切りになる、家賃が高いしどうするか・・・と考えていた時、私の実家に同居することになりました。
両親と同居するとは!
ボンが2歳になる前。私の両親と、旦那さんと子供2人の生活が始まりました。
私と両親の関係は、同居するくらいですから悪くはないのですが、私はずっと両親のことが怖かったのです。
それなりに厳しく育てられましたから。
今考えれば、思い立ったら何が何でも勝手に行動する私を随分自由にさせてくれていたんだなと、思春期の子どもを持って思いますが 笑
(母はきっとこれを読んだら苦笑いすることでしょう・・・)
高校の時にアメリカに留学してから、少し変化していったように思います。
怖かったけど、両親のことは好きでしたし、そんなにこじれた親子関係ではございませんでした。
でも、「友達みたいな親子」にあこがれてました。
だから、自分でもまさか自分の両親と同居するとは思っていませんでした。
が、転がり込んで一緒に住むことになりました。
同居生活と子育て
専業主婦が二人いる同居生活。2世帯ではなく、全くの同居です。
私は母から家事を教えてもらいましたから、ほぼやり方は同じ。
ほとんど違和感を持つことなく暮らしていました。
主婦歴の長い母の方がよっぽど手が早いし上手ですから、明確に家事も分担していませんでしたし、甘えっぱなしだったなと思います。
母と同じ子育て
2年後には次女を授かります。
3人も子どもがいて大変ね!と言われることが多いのですが、皆さんもご想像の通り、3人の子育てで大忙しであろう頃、私は母に大いに甘え、助けてもらっていました。
本当に感謝しています。
子育ての方法は、母が私を育てた時と基本は同じだったでしょう。私も母の子育てしか知らないし、母は孫達を同じように躾けてくれました。
ただ、私は兄と二人兄弟でしたから、3人の子育ては母も初めて。出しゃばるでもなく、私たち夫婦の考えを尊重してくれていました。
小さい頃から子ども隊は今とあまり変わりません。
夜泣きだけはみんなひどかったけど、大きな病気もせず、手に負えないわけでもなく、育てやすい子ども達。
なので聞き分けがよく、お利口さん。なのに私は結構厳しい母親でした。
当時からお友達のママ友に聞くと、うちの子だけちゃんとテーブルでおやつを食べ終わるまで座っていたり、お片づけも几帳面だったり、「しっかり躾けられてる子」という感じでした。
ただ、天真爛漫だったお嬢はその頃から何にでも私の許可を取るようになっていました。
ただ毎日を何も考えずに過ごしていた頃
3人兄弟の母なのにそう毎日が大変でもなかった私は、その頃は物欲にまみれていました。
好きだった雑貨をイギリスから個人輸入したり、セールになれば服をいっぱい買ったり、「その時楽しければ」「ちょっとくらいいいか」という刹那的な毎日を過ごしていたように思います。
その頃、金髪になりました。
もともと大学時代も金髪やらピンクやらブルーやら銀髪やら(笑)髪を染めるの好きだったんです。
美容室もしょっちゅう行けないからとロングのストレートヘアだった私は、久しぶりに髪の色変えようかなーと薬局に行きました。
ヘアカラーをして少し茶色になっても、別に可愛くない。
もうちょっと明るくーとエスカレートして金髪に 笑
幼稚園の役員とかもしてましたから、「金髪の人」という印象は今でもきっと同級生のママ達にあることでしょう。
後から笑ってしまうような印象だったことを聞かされたことも多々あります。
後から気づいた、「退屈」
時期は前後しますが、数年後なぜ金髪にしたのか、気づくことがありました。
当時はただ、ファッションの感覚で金髪にしていたと思っていたのですが・・・
もうライフオーガナイザーになった後、末っ子が幼稚園に通っていた頃。
私が金髪だった頃より、もう少しパンチの効いた(笑)ママさんがいました。
そのママさんが真っ金金の金髪のツーブロック、という髪型にされた時、幼稚園の先生が「ママ、思い切りましたねー!」的なことをいってたんです。
すると、そのママさんが、「うんー、なんか退屈してな。」
その頃の私は、自分に退屈していたんです。
私の価値観、なんてなかった
振り返って見ると、私は自分で考えて行動するということが減っていました。
家事は母のやり方と同じにしておけば大丈夫。
子供が3人もいるんやし、働いたりはできなくて当たり前。
毎日、考えず目の前のことをやって過ごす。
パパが私を幸せにしてくれるはず。
何も考えてなかった。それだけぬるま湯の中にいたんですね。
飛び蹴りして目醒ましたろか!!!と今の自分は思いますが(笑)
当時の私はすっかり「自分の価値観」をなくしてしまっていたのです。
さて、ここから一波乱。飛び蹴りくらいのダメージを受けることになります。